KK NIKKI

かーきちのにっき

furikaeru

 

超ひさしぶりに

ブログを書く。

 

わたし

しばらく

しんどくてたまらんかったけど

さいきんすごく楽しいです、

ふりかえる余裕もできたので

ブログを書くことにした。

 

しんどいのはじまりは昨年末ぐらいだろうか、

自分の未来とか

自分がほんとにやりたいこと、

会社で自分ができることは何か

について悶々と考え始めて

わたしは組織向きの人間じゃないんだ、とか

わたしは編集者向きの人間じゃないんだ、とか

いろいろ考えるようになって

 

特に、2〜3月あたりは

もともと悩んでた

人間関係のこととかも相まって

毎日泣いてた

 

毎日毎日

会社の地下とか

外のベンチとかで泣いてた

 

心のなかに、

ここを抜け出したい、抜け出してやる

ってゆう、自信があったりなかったりする

何かがあって

 

組織に属しつづけるのか

離れるのかはわからないけど

どちらでも

やりたいことをやってけるように

ミスiDを受けるって決めた

 

けど精神的にまいってしまって

一度会社を1〜2週間休みました。

 

漫画の学校に通い始め

ミスiDを受けたりするなか

寿命図鑑の入稿があったりで、

キャパ越えしたようです。

 

入稿はなんとか終えて

もう死んだように

 

また会社を2週間ほど

休ませてもらいました。

 

きむさんには

あきちゃんには充電期間が必要だよと

お言葉をもらい

ありがたく充電させていただきました。

 

究極におちてたときは、

自分にできることはなにもない

自分には未来がない

自分には居場所がない

と悶々と考えて

夜は考えすぎて眠れず、

朝になったら寝る

ってゆう生活してた。

 

充電期間中にいろいろあり、

気づけば出版事業部は

こんな感じになりました。

 

でもわたしにとって

出版事業部で起きたことは

プラスに働いた。

 

上が空っぽになったことで

雲突き抜けたみたいに

バーン!って自分の未来

あるような気がしてきた。

 

人間関係の悩みもなくなって

自分らしく周りの人と

話せるようになってきた(3年目でやっと)。

 

組織での居心地が良くなった。

こんな企画も考えていいのねって、

出せるアイデアの幅も広がった気がした。

自分の居場所はここだって思った。

 

この数ヶ月で

ほんとにいろんなこと思った。

 

とにかくわたしは

いろはが好きだって思った

 

ミスiDの2次審査の時点では

漫画を描きたいってゆってたけど、

最終面接では

いろはで頑張りたいって話した

 

一番肩書きにとらわれていたのは自分で、

「編集者」とか「漫画家」とかじゃなくて

「河北亜紀」として、

自分にしかつくれないもの、かつ

いろはらしいものを

つくっていきたいと思った

 

それが、自分が編集者としてつくるものでも

制作者、著者としてつくるものでも

企画によって面白く変幻できればよいなと思う

もしかしたら本じゃなくても

いいのかもしれないし。

 

ミスiDの実行委員長の方には

「” 特殊編集者 ” ですよね、

この年齢で自分のそうゆうポジションを

確立しているのはすごいと思うのですが… 」

というような話をされ

え、全然すごくないです

確立できてないです、と思う反面

特殊編集者 という言葉を聞いて

それが自分の居場所なのかもしれないと思い

少し安心して嬉しかったのです

 

会社という枠と、

職業名の枠を越えて

 

いろはの社員さんも含め

たくさんの

老若男女のひとたちが

たのしめる本をつくりたいと

思っているのです

 

そういうふうに

周りの環境や

自分の考えが変わってって、

いまはすごく楽しい

 

生きてる感じがする

 

しんどくてしんどくて

今年は 人生で一番泣いた年かもしれないけど

ふりかえれば、

一番いろいろあって面白かった年なのかも

しれません

 

休んでいるあいだ

ご迷惑 ご心配をおかけした方々には

 

ごめんなさい と

ありがとうございました

 

土曜日はミスiDの結果発表だ

 

どんな結果でも

わたしはわたしらしく

生き続けるゾ